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2012年 05月 15日
金環日食
このごろ盛んに金環日食を報道しています この日食を本州で見られるのは 何百何十年ぶりとか・・・ 私がはじめて日食を見たのは 小学校の3.4年生の頃だったと覚えております 部分日食でした あらかじめ理科で先生から 日食の起きるわけを教えてもらいました 今では日食用の眼鏡などあるそうですが その頃はそんなものはありません 透明のガラスを拾ってきて ろうそくの火にかざして そのススでガラスを黒くしました 充分黒くしないと目を傷めると言われました 日食の始まる時間になると ススで黒くしたガラスを持って 校庭に出て太陽をのぞきました バケツに水を入れて持ってくる子もいました その水に太陽を映すのです 赤い太陽の左下の方から まるく黒くなっていきました 日食を見たぞ!・・・と言いあいましたが 同級生から天文学者は出ませんでした それからすぐに満州事変が始まりましたから 天文学どころではなくなったからでしょう 九十年近くも生きてくると 日食の話もたびたび聞きました また見たいとも思わずにすごしました こんどもその翌日には新聞に写真が出るでしょう それを見ることにします それにしてもすごいですね 日食が何年何月何日何時何分に始まると 計算する頭脳・・・ 2012年 04月 25日
4月21日
掘畑大師堂のお祭りをしました その前日20日にお供えの餅を搗きました 餅つきと言っても臼ではなく機械です その終わりに「てのこぼ餅」を作ってくれました 大師堂を改築したのは昭和45年ごろです それまでは女の方がお堂を守していました 改築の世話を小豆島詣りの先達さんがしました それ以後お勤めの導師は男の先達が勤めるようになりました その頃はしっかりしたお婆さん(私が若かった)たちが なにもかも仕切ってくれていました とにかく朝が早かった 男たちが8時ごろ出てきて 幟をたて一休みして帰るときに 「てのこぼ」を持たせてくれました 「てのこぼ」の意味はよく知りませんが 餅つきが終わって「ご苦労さんでした」と 車座になってお茶を飲みながら 食べる餅のことと思っています 慰労のためのものと考えております 別に変はった餅でもありません 「あんころ餅」です「きな粉」をまぶった餅もありました とり粉がつくと餡がつかなくなるので 餅が搗けると臼(機械)から直接餡の鍋に 餅をちぎって投げ込みまたちぎって投げ込む 餡をまぶします 白い餅とよもぎ餅とあったように思います 女の方たちも世代が代わり 若いおばさん(私が年をとりました)になり 今は餡入りのよもぎ餅になりました 今年は有線放送の人が取材にきました 私もインタビューというのを受けました 「カットしといてや」と頼むと 「ちょこっとだけになります」と言っていました 但馬金剛会の日帰り旅行が5月27日 中風寺から天竜寺にお参りという パンフレットをいただきました 中風寺で中風除けの祈祷も受けたいし 天竜寺にもお参りしたいし しかし美山町の奥から京都嵐山をまわる その長旅に体力が続くか心配 ゆくべしか、ゆかざるべしか ただいま思案中 2012年 04月 13日
先日私が養父町文化協会の
事業部長を拝命していた頃の 副会長さんが尋ねてきてくださいました 副会長さんも大きな手術をなさったそうです 文化協会にいたころ 心に残った事といえば 郷土芸能発表の会のとき アイヌの方が出演にこられました 出演までのわずかな時間に 広谷のお宮と小城の大庄屋 旧長島邸の見学に行きました その知識欲に感心しました 文化祭の夜 北海道のルスツ村の小・中学生が はるばるビバホールに来て 太鼓の演奏をしてくれたことがあります 羊蹄山の麓を走る汽車をイメージしたという 演奏を聞かせてくれました 本当に蒸気機関車が煙を吐きながら 山麓を走っているようでした 太鼓でこんなことまで出来るのかと思いました 見事な技に感動しました 太鼓を聞いて涙が出るなどはじめてのことでした あれから何年経ったでしょう あの少年達ももう立派な大人になっていることでしょう 長く文化協会でお世話になりましたが 私がお話できるようなことは この二つぐらいしかございません ![]() 2012年 04月 06日
4月4日
人類が100万年の昔 火を使っていたことを示す痕跡が 南アフリカで発見されたと 毎日新聞にでていました 大飯原発を稼動させるかどうかで 議論されています 再稼動の是非は置いておいて こんなことを考えました 原発廃棄物はどうするのでしょう 耐用年数が過ぎて 廃炉になった跡はどうなるのでしょうか 放射能がなくなるまで 何万年もかかるといいます 日本は神代の時代から約3000年 1000万年の1000分の1 1万年後日本人がいたら 処理した場所や廃炉の跡を 悪魔の棲む場所というか パワースポットと呼ぶか それとも人類が進化して 放射能に強い身体になっているか 暇な老人がこんなことを考えて 悩んでいます ![]() 2012年 03月 23日
3月21日
吟道賀堂流ホームページ 先日久しぶりに賀堂流を検索しました 吟詠紹介をクリックすると なんと 「賀堂流の歴史の中で活躍した先輩の朗吟を鑑賞します」 とあるではないか MSNで鑑賞してくださいとある 私にはMSNを開く技術はない 孫にフアックスで頼んだ 孫もなかなか手が抜けぬらしい 息子が畑仕事の手伝いに帰って来た MSNが開けないかと尋ねる そして今日吟詠を聞く 素晴らしい 諸先生の吟 懐かしい ここからは私だけの思い・・・ 流祖初代宗家 戦後途絶えた賀堂流の復活に努力された先生方 賀堂流の隆盛に尽くされた諸先生 私に言わせてもらうと 詩吟の近代化とでもいえる 音程、アクセントなどに取り組まれた方々 よく順序だてて編集されたものです また声の美しさには驚きました このことに関わられた方々の努力、博識 また技術にただただ感服するばかりです まさに神技・・・ 勝手なお願いですが 現在活躍されている吟士の方々の吟を 朗詠集―3として調整して頂ければ 大変嬉しく思います それも出来るだけ早く 私はもう日が暮れかかっているのです 初代宗家磯部賀堂師を 活躍した先輩・・とお呼びするのには ちょっと違和感を覚えます
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